今朝(7月17日)の山陽新聞を見ましたか。春成秀爾氏によると箸墓古墳が女王卑弥呼の墓とすれば、箸墓古墳から出土した重要な土器や紋様は楯築遺跡周辺で製作、発展した特殊器台、弧帯紋である。また楯築遺跡周辺の田んぼから竜神が発見されており、鬼道を操る卑弥呼のイメージに合致している。卑弥呼が中央へ進出して女王になり、吉備の勢力が箸墓を築造した。
よって倉敷市庄新町の楯築弥生墳丘墓(国指定、180年~190年築造)は女王卑弥呼の父、あるいは母の墓だったする説。
15年程前、薬師寺慎一氏の「楯築遺跡と卑弥呼の鬼道」では楯築弥生墳丘墓(国指定)は卑弥呼の墓の可能性があり、また楯築遺跡周辺で製作、発展した特殊器台が奈良の箸墓古墳で発見されていることから楯築の後禽が大和に入り墓を造ったと言う説を唱えていた。
古代ロマンは疑わず空想を膨らませて楽しむものと思っています。
外観 5個の巨石が配置されている。
弧帯石(土地の人は亀石と言って古代より奉ってきた)
前面に人の顔の様な彫り物と石の全表面に奇妙な紋様が彫られている。
吉備特有の紋様と言う。
15年ほど前の薬師寺慎一氏の「楯築遺跡と卑弥呼の鬼道」